【トルコ&イタリアの旅2025 ④】世界遺産の街ラヴェンナ観光|モザイク三昧♪

イタリア
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ぽや妻
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こんにちは!
ぽや妻@poyatabi)です。
この記事では2025年3月に行ったトルコ&イタリア旅についてまとめています。今回はイタリア北部、ラヴェンナの観光の様子をまとめました。

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ラヴェンナ観光|素晴らしいモザイク画の数々!

トルコ&イタリアの旅2025④|画像をクリックするとYouTubeに移動します

旅行3日目は早朝からイスタンブールを離れラヴェンナへ移動。ずっと行きたいと思っていた街を訪れることができました!マイナーですが素晴らしい世界遺産の街ラヴェンナ、動画もぜひご覧ください♪
このトルコ&イタリア旅2025の様子をまとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ☺

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群|世界遺産

ラヴェンナは、イタリア北部のエミリア=ロマーニャ州に位置する都市で、古代ローマ帝国、ビザンツ帝国、中世ヨーロッパの歴史と深い結びつきを持つ重要な都市です。

観光情報|チケットの事前購入がおすすめ

私たちが行った3月はオフシーズンだったので、混雑も無くスムーズに観て回ることができましたが、ハイシーズンはきっと混み合うと思いますので、事前にチケットを購入しておくと安心です。

オンラインで購入が可能。クレジットカードで問題なく決済できました。↓こちらのオフィシャルサイトから簡単に購入できます。

ラヴェンナのチケット購入(オフィシャルサイト)

訪れる日付けを選びます。チケットは7日間有効なので、その間に3カ所または5カ所を観て回れるチケット(セット券)を買うことができます。

私たちは赤丸のついている5カ所のチケットを購入しました。青丸の3か所のチケットも購入できます。

各スポットをいつ訪れるかを購入時に指定するようになっています。

ネオニアーノ洗礼堂ガッラ・プラキディア霊廟入場時間も指定しなければなりませんが、私たちが行ったときは閑散期だったためか、予約時間を無視して着いた時間でそのまま入れてもらえました。ハイシーズンは時間通りなのかもしれないので、予約時間に間に合うように行く必要があると思います。

購入時は、到着してからどのくらいの時間で観て回れるのか悩みに悩みましたが、実際に訪れてみると街そのものはとてもコンパクトにまとまっていますので、1日ですべて観て回ることも可能です。

チケット代金は、5カ所入場できるチケット2人分で25ユーロ(カード請求額は4,037円)でした。

オンライン決済が完了するとPDFでチケットが送られてきますので、当日はそれを見せればOK! 電子チケットは印刷するかデバイスに保存して当日、各施設でバーコードをスキャンしてもらい入場します。※私たちは念のため印刷したものを持参しまいた。

チケットには【予約時間に遅れたら入場できない】と書いてありますが、オフィスで他の時間帯が空いていれば変更ができる、とも書いてあります。(変更の具体的な方法はわからず…)

ガッラ・プラキディア霊廟|Mausoleo di Galla Placidia

最初に訪れたのがこちら、ガッラ・プラキディア霊廟。5分刻みの入場時間を指定して購入する施設その①です。時間を指定する施設は内部がとても狭いので、そのための時間指定だと思われます。

中はこのように↑十字架の形になっていて、中央にドームがあります。

中に入ると全面のモザイク! 素晴らしいです。

正面の下段、照明器具で少し見えにくいですが、鉄格子と炎の横に立っているのは聖ラウレンティウスではないかと言われています(聖ラウレンティウスは鉄格子の上で火あぶりされたという伝説がある)。

そしてドーム部分。満天の星の中心に十字架、四方に四大福音書記者(Evangelist、エヴァンゲリスト)のシンボルである有翼の人や動物(聖マタイ=人/天使、聖マルコ=ライオン、聖ルカ=牛、聖ヨハネ=ワシ)が描かれています。

四方にも聖人が多く描かれていて、ずっと眺めていられる空間です。

入り口のを入ってすぐ振り返るとあるのが↑善き羊飼い(キリスト)のモザイク。

ガッラ・プラキディアって誰?

ガッラ・プラキディアは5世紀の西ローマ帝国の皇女で、キリスト教に深く帰依し、ラヴェンナに自身の霊廟を建てた(と言われているが確証がない)ことで知られる文化的・宗教的な重要人物です。

ガッラ・プラキディアの略歴と経緯
  • 父:テオドシウス1世(在位:379–395)
    → 東西ローマ帝国を最後に統一した皇帝。
  • 390年頃:コンスタンティノープルでプラキディア誕生
  • 410年:西ゴート族がローマを陥落させた際、プラキディアは西ゴートの捕虜になる。
  • 414年:捕虜生活の末、西ゴート王 アタウルフと結婚。これにより西ゴート王妃となる。
    → 息子が生まれるがすぐに亡くなり、夫アタウルフも翌年暗殺される。
  • 416年頃:西ローマ帝国に返還され、政略結婚として将軍 コンスタンティウスと再婚。
    → この将軍がのちに「コンスタンティウス3世」として皇帝に即位。彼女も西ローマ皇后となる。
  • 424年頃〜:息子ウァレンティニアヌス3世が5歳で皇帝に即位後は、摂政として西ローマ帝国を実質的に統治

彼女の人生はまさにローマ帝国末期の動乱と外交の縮図のようなもので、ローマ貴族捕虜異民族の王妃、そして皇后へと立場を変えつつ生き延びた大河ドラマの主人公みたいな人物だったんですね。

「ガッラ・プラキディアの霊廟」という呼び名は 中世以降の伝承に由来しており、彼女が本当に埋葬されたかは不明。廟堂内には大きな棺が3つありますが、これが彼女とその家族の者なのかどうかも不明…。彼女は最終的にローマに埋葬された可能性も指摘されているようです。

サン・ヴィターレ聖堂|Basilica di San Vitale

こちらはガッラ・プラキディア廟堂のすぐ隣にある聖堂です。(ここは日付の指定はありますが、時間指定はないのでゆっくり観て大丈夫)

この聖堂は、当時ラヴェンナを支配していた東ゴート王国(アリウス派)の時代に建築が始まりましたが、完成したときにはすでにビザンツ帝国(東ローマ帝国)の支配下となっていました。

八角形集中式建築。着工:西暦 526年完成:西暦 547年

入り口を入ると迫力あるドーム。吸い込まれそうな感覚になります。左手側に目をやるとモザイクが見えてきます。

アーチにはキリストを中心に左右に分かれて12使徒+聖ゲルウァシウス聖プロタシウス(聖ヴィタリスの息子たち)が描かれています。

キリストが冠(殉教の勝利を表す)を渡そうとしているのが聖ヴィタリス(向かって左)。サン・ヴィターレ聖堂はこの聖ヴィタリスに捧げられた聖堂です。

そして、ここで一番有名なモザイク画こちら!

ユスティニアヌスのモザイク。(これ本の表紙とかでよく見るー!)本物だーー!!…って興奮しました。でも堂内は私語禁止なので心の中でわー!!ってなりました。

逆サイドには皇后テオドラのモザイク。これも有名すぎる。

実際に行くまで気付いてなかったのですが、曲面に描かれているんですよねぇ。テオドラ側だと、左の一番端の女性のあたりから壁が丸まりだす感じです。

もっとズーム力のあるカメラが必用だな…と思ったラヴェンナ滞在。モザイクは遠目に観ると絵画のように美しいんですが、寄りで観たい!!ってなります。

ネオニアーノ洗礼堂|Battistero Neoniano

5世紀前半に建てられた正統派(カトリック=ニカイア信条に基づく三位一体派)の洗礼堂です。ここも八角形集中式建築。八角形は復活や新生の象徴とされ、洗礼堂建築に多く使われました。

建物自体の基礎は、西ローマ皇帝ホノリウスの時代(おそらく390年代〜400年代初頭)にラヴェンナの司教ウルシキヌス(Ursicinus)によって始められたとされているようです。

ネオニアーノ洗礼堂という名称は、5世紀末にその内部をモザイクで装飾したラヴェンナの司教ネオーネ(Neone)にちなみます。※装飾される以前から建物はありましたが、モザイクで美しく装飾をすることにしたのがネオーネさんです。

天井には素晴らしいモザイク画。中心のモザイクには、洗礼を受けるキリストが描かれています。

洗礼者ヨハネがヨルダン川でキリストに水をかけており、擬人化されたヨルダン川(ヨルダン川の神)も描かれています。※右の川の中にいる老人が擬人化ヨルダン川。

大司教博物館|Museo Arcivescovile di Ravenna

大司教博物館に入ると、このような展示。

↑象牙の椅子(Cattedra d’avorio)もあります。※この椅子はガラスの箱に入れられて、触れないようになっていました。

聖アンドレア礼拝堂|Cappella di Sant’Andrea

この建物の一画に聖アンドレア礼拝堂があります。アンドレア(アンドレ)は新約聖書に登場する使徒で、聖ペトロの兄弟でもあります。

5世紀末に建てられた大司教の私的な礼拝堂で、アリウス派に対抗するカトリック正統信仰の象徴とされる重要な場所です。

入り口から入って振り返ると、武装したキリストがライオンと蛇を踏みつけている図(モザイク)。

武装するキリストって珍しいですよね。これは「異端との戦いに勝利するキリスト」を表しており、当時のアリウス派との宗教的対立を背景に制作されたようです。

ここにも星空に十字架がありました。

天井にはキリストのシンボルである「XP(キーロー)」や、翼のある獣(四福音書記者の象徴:人、獅子、牛、鷲)などが描かれています。

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂|Basilica di Sant’Apollinare Nuovo

歴史的背景

建設と初期の用途(504年)
聖堂は、東ゴート王テオドリック大王によって、彼の王宮の付属教会として建設されました。当初は「救世主キリストに捧げられた教会(Domini Nostri Jesu Christi)」として知られ、アリウス派の礼拝堂として使用されていました。

カトリック教会への転用(561年)
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)がラヴェンナを征服した後、聖堂はカトリック教会に転用され「聖マルティヌス・イン・チェーロ・アウレオ(Sanctus Martinus in Coelo Aureo)」として再奉献されました。これは、アリウス派の影響を排除し、正統派キリスト教を強調するためのものでした。

聖アポリナーレへの奉献(9世紀)
9世紀には、ラヴェンナの初代司教である聖アポリナーレの遺物この聖堂に移され、現在の名称「サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂」となりました。※聖アポリナーレの遺物はもともとはサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂にありました。

モザイク装飾の特徴

聖堂の内部、特に身廊の側壁には、3層にわたるモザイク装飾が施されています。

上段はキリストの生涯を表しており、アリウス派の教義を反映したモザイクには、キリストの人間性を強調するため、若くひげのない姿で描かれています。

中段は各側壁に16人ずつ、計32人の聖人や預言者が描かれています。彼らは、巻物や書物を持ち、個々の表情や衣装の細部に至るまで精緻に表現されています。

下段は聖人たちの行列です。

右壁:26人の殉教者たちが、キリストに向かって進む行列。

一部の人物像(特に宮殿や王の描写)は後に改変・上塗りされており、政治的背景が反映されています。

左壁:22人の聖女たちが、三博士に先導されて、聖母マリアと幼子イエスに向かって進む行列。※この派手な衣装の三博士のマグネットをお土産に買いました〜☺

↑明からに何かを消した感がある城壁部分。色が違うのでわかりやすいですよね。

アリアーニ洗礼堂|Battistero degli Ariani

アリアーニ(Ariani)とは、アリウス派(Arianism)の信者たちを指すラテン語・イタリア語系の表現です。つまりアリアーニ=アリウス派。

平日は午前中の9時〜12時までしか開いていなかったので、移動日の朝に行きました。

入場券は大人ひとり:2ユーロです。とてもお安い!!

入り口の近くのこちら↑の券売機で購入します。※私たちがもたもたしていたら、中から管理人のご婦人が出てきて買い方を教えてくれました☺

中にはいると、天井に素晴らしいモザイク画があります。ネオニアーノ洗礼堂の装飾と似ていますが、金色の背景やキリストの若々しい姿などにはアリウス派の神学的視点が反映されています。※このモザイクはカトリック化してからも修正されておらず、アリウス派時代のものがそのまま残されています。

天井画低いのでモザイクも間近に感じることができて良かったです。窓が多いので明るい!

建築と歴史

建設とアリウス派の背景
5世紀末東ゴート王テオドリック大王(在位493–526年)がラヴェンナを統治していた時期に、アリウス派の信仰に基づいてこの洗礼堂が建設されました。

ビザンティン帝国の支配とアリウス派の終焉
6世紀半ばビザンツ帝国ラヴェンナを再征服し、アリウス派は異端とされ、信仰の自由が制限されました。

洗礼堂の再献堂
561年頃、ラヴェンナの大司教アグネッロの時代に、洗礼堂はカトリックの礼拝堂として再献堂され、「聖マリア(Santa Maria)」に捧げられました。

その後の変遷
中世には「Santa Maria in Cosmedin」として知られていましたが、17世紀頃には一時的に民間の所有となり倉庫として使われるなど破損の危機もありましたが、1914年にイタリア政府の所有となり修復が行われました。

髭のない若いキリストと、洗礼者ヨハネ、頭上には鳩、左側に座っている老人はヨルダン川の精(川の擬人化)です。

金地にシンプルな表現のモザイク画。落ち着いた感じがアリウス派時代という感じです。

サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂|Basilica di Sant’Apollinare in Classe

市内から少し離れた場所にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂。(クラッセという地域にあります)

こちらのモザイクも素晴らしいです。大きさが伝わらないのですが、とても天井画高く、大きな聖堂です。

サンタポリナーレ(聖アポリナーレ)は真ん中で両手を挙げている人。彼の周りには羊が12匹(さらに奥に3匹)います。中央の宝石で飾られた十字架(クルクス・ジェンマタ)の中心にはキリストの顔が描かれ、十字架の上には神の手が雲間から伸び、左右には預言者エリヤとモーセが描かれています。まさに神々しい感じですね。

ラヴェンナのモザイクは緑や黄緑、ブルーなど、爽やかな色合いです。

6世紀に聖アポリナーレ(ラヴェンナの初代司教、殉教者)の遺体の安置のために建てられた聖堂ですが、9世紀頃には海賊の襲撃や治安の悪化から、より安全なラヴェンナ市内に遺物を移すことが決定し、ラヴェンナ市街中心部にあるサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂遺物が移され、以後そこが聖アポリナーレの崇敬の中心となっています。

ちなみに、当時は海岸線が今よりも内陸にあり、この教会の辺りも海に近かったようですよ。

ラヴェンナの駅からバスで30分くらいかかりますが、行く価値があります!

バスのチケットは駅で購入できます

正確には、街の中に点在しているタバッキ(キオスク)でもバスのチケットは買えるのですが難易度が高かったので、私たちは駅の横の事務所(START ROMAGNA/BUS TICKETSと書いてあるのでわかりやすいです)の窓口で買いました。

1回券は60分間有効で、1枚1.5ユーロです。往復を二人分で4枚買いました。帰りのバス停近くではチケットを購入できないので、帰りの分も必ず購入しておくのがオススメ!

バスに乗る時に検札機でチケットを検札(打刻)すると、そこから90分間有効になります。※打刻を忘れると罰金がある(と思う)ので忘れずに!

ストリートビューだと↑こんな感じです

↑チケット売り場(事務所)はこんな見た目ですが、バスのイラストとバスチケットと書いてあるのでわかりやすいです。↓場所は駅のすぐ横です。

アリウス派と正統派(カトリック)

アリウス派(アリアニズム)は、4世紀初頭にアレクサンドリアの司祭アリウスによって提唱されたキリスト教の教義です。この教派の最大の特徴は、「キリストは神によって創造された存在であり、神とは本質的に異なる」とする点にあります。つまり、キリストは神に近い神聖な存在ではあるものの、「永遠の神」ではなく、「時間の中で生まれた被造物」であるという考えです。

当時、主流のキリスト教(正統派、のちのカトリック)は、キリストは神と同じ本質を持つ(ホモウーシオス)」と信じており、キリストの神性を強く主張していました。これに対してアリウスの教えは、キリストを神より下位の存在とみなしていたため、大きな論争を巻き起こします。

教義アリウス派正統派(カトリック)
キリストの本質神に「似ている」神と「同じ」
キリストの存在神によって創造された永遠に神と共に存在

ニカイア公会議

325年に開かれたニカイア公会議(ニカイアは現在トルコのイズニク)では、アリウス派の教義は異端とされ、キリストは神と同質であるとする正統派の立場が公式に採用されました。しかしその後も、東ゴート族や西ゴート族といったゲルマン民族の間ではアリウス派が根強く信仰され、アリウス派の教会や建築物が各地に建てられました。ラヴェンナのアリアーニ洗礼堂は、その代表例のひとつです。

このようにアリウス派の歴史は、宗教的な教義だけでなく、当時の政治や民族の動きとも深く結びついており、アリウス派と正統派の対立はキリスト教の初期の発展を理解するうえで欠かせない重要な要素となっています。

ピアディーナ店|Profumo di Piadina “Laboratorio del Palato”

遅めのランチに、ロマーニャ地方の名物『ピアディーナ』を食べることにしました☺

メニューが沢山ありますが、お店の人がおすすめしてくれたクラシックなピアディーナを注文。

具はチーズ、ルッコラ、生ハムです。絶対美味しいに決まってる組み合わせですね♪ 1つ:7ユーロ。

観光の途中に買ったのでテイクアウトにしたのですが、二つに切り分けて丁寧に包んでくれました。お店の皆さん、とても優しかった♥

きっと焼きたての温かいものを食べたらもっと美味しいんでしょうけれど、冷めても十分美味しかったです!(これが今回のイタリアで最初の食事でした)

とにかく具がたっぷり入っていて、生ハムなんかはお皿に盛り付けたら大盛!って感じだったと思います。プロシュートは味が濃いので、これをつまみにワインも進みそうな味でした〜☺

ダンテの墓|Tomba di Dante

ラヴェンナにはダンテの墓があります。ダンテはラヴェンナで亡くなり、ラヴェンナで埋葬されました。

ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)は、イタリアの詩人、哲学者、政治家。政争によりフィレンツェを追放され放浪し、ラヴェンナでも亡命生活を送りました。

『神曲』は彼の放浪生活の中で書かれた代表作です。

スーパーで買い食い

ラヴェンナ市内にはスーパーマーケットが沢山あったので、水や食料の買い出しに重宝しました。

本当は事前に調べておいたレストランで地元料理も食べたかったのですが、3時起きで一日中観光して歩いたので、外に食べに出る元気が出ませんでした〜。スーパーのハムでも十分美味しい♪(でも、温かいものが食べたかったぁ…インスタントのスープ買えばよかったと後悔)

※次はヴェネツィアに移動します♪(つづく)

今回の旅で使ったeSIM

【ヨーロッパ eSIM】30日間 高速データ10GB 低速データ使い放題 データ通信専用 ヨーロッパ sim イギリス・ドイツ ・フランス・トルコを含む40のヨーロッパ諸国で使用可能|mewfi

今回ぽや家が利用したのは↑こんなやつ。Amazonで購入しました。

決め手は、トルコとイタリアどちらの国でも設定なしで繋がるというところ。実際、トルコからイタリアを行き来した際には、機内モードを解除して1〜2分待つと普通に繋がりました。

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