【トルコ&イタリアの旅2025 ②】イスタンブール観光(前半)とスーパーで会計をちょろまかされそうになった話

トルコ
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ぽや妻
ぽや妻

こんにちは!
ぽや妻@poyatabi)です。
この記事では2025年3月に行ったトルコ&イタリア旅についてまとめています。今回はイスタンブール初日の観光(前半)の様子をまとめました。

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寝てないけどイスタンブール観光するぞ!

トルコ&イタリアの旅2025②|画像をクリックするとYouTubeに移動します

成田を出て翌日の朝にイスタンブールに到着。ホテルに荷物を置いてそのまま観光開始!この動画では観光の前半の様子をお届けいたします☺
このトルコ&イタリア旅2025の様子をまとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ☺

アクサライからバスでコーラ修道院へ

朝、イスタンブールに到着してお金をおろしたりイスタンブールカードを買ったりして10時をちょい過ぎました。寝ていませんが観光開始です♪

アクサライのバス停からローカルバスでテオドシウスの城壁の外まで移動します。

イスタンブールカードで支払いをしました。乗車1回、27トルコリラ(≒113円)です。

城壁近くの(外側の)バス停で下車しました。

テオドシウスの城壁

テオドシウスの城壁とは

5世紀初頭、テオドシウス2世の治世(413年頃)に建設。外敵(フン族、アヴァール人、イスラム勢力など)からの侵入を防ぐための三重の城壁と堀
1000年以上、何度も攻撃を受けながらも、1453年のオスマン帝国による陥落まで耐え抜いた驚異の防御線でした。

テオドシウスの城壁の中へ入ります。この城壁の内側がビザンツ帝国/東ローマ帝国時代のコンスタンティノープル市内。とても立派で堅牢な城壁です。

三重の城壁として有名ですが、今回はそれがわかるような場所に赴くことができませんでした~。黄金門に行きたかったのですが、そんな時間も体力も無かった…(悲)

塔の上に登れるようでしたが、時間がないので眺めるだけ。(今回のイスタンブール滞在では時間がなくて行けなかった場所が沢山あるので、きっとまた戻ってくることになるでしょうね~。)

ずーっと続く城壁。

コーラ修道院|カーリエ博物館|Kariye Camii

城壁から少し歩くと、この日の観光のメインであるコーラ修道院(現カーリエ・ジャーミー)に到着。チケットは1人820トルコリラ(≒3,433円)でした。

現在はカーリエ・ジャーミー(モスク)ですが、もともとは11世紀(東ローマ|ビザンツ帝国時代)に正教会修道院の付属教会堂|コーラ修道院付属ソーテール(救世主)聖堂として建設されたもので、14世紀まで間欠的に増改築が繰り返されました。

モザイク画

コーラ修道院(カーリエ・ジャーミィ/カーリエ博物館)は、ビザンツ美術の最高峰とされるモザイクとフレスコ画で有名です。これらの装飾の施主(依頼者)テオドロス・メトコキテス(Theodoros Metochites)1315年〜1321年ごろ(14世紀初頭)に作られました。

修道院をキリストに献上しているのがテオドロス・メトコキテス

テオドロス・メトコキテスはビザンツ帝国・アンドロニコス2世パレオロゴスの時代の高位官僚・学者・詩人。政治だけでなく、芸術・文化・神学に精通した知識人で、私財を投じて自身の信仰と文化的使命から古い修道院を大改修し、素晴らしい装飾芸術を残したのです。

外ナルテクスにはキリストの物語が描かれています。↑ぽや夫さんは東方三博士のヘロデ王訪問のシーンが好きなので、写真もアップで残ってました。

内ナルテクスには聖母マリアに関する物語が主に描かれています。保存状態もよく見ごたえがあります。ネットを徘徊していると、どこに何が描かれているのか詳細に紹介している論文なども転がっていますので、そのあたりを眺めてから出かけると、より楽しめると思います☺

ライティングも素晴らしく、モザイク画が観やすいです。

何より天井が高くないので、モザイクが近い!
細部までよく見えるので、そういう意味でも見学者にとっては素晴らしい体験になると思います。

フレスコ画|パレクレシオン

パレクレシオン(墓廟礼拝堂)のフレスコ画も素晴らしいです。

冥府降下の図。イエスは右手でアダムを、左手でエバ(イブ)の腕をつかんで、石棺から引き上げようとしています。※冥府降下の図は正典の四福音書ではなく外典(ニコデモの福音書)に基づいています。

側面には聖書の物語や、聖人などが描かれています。とても鮮やかで、モザイク画とはまた違った美しさがあります。

最後の審判。
※後日訪れる、イタリア|パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂(ジョットの壁画)にも通じるものを感じます。でも、ジョットの壁画のほうが時代的には古いんですよね。

ビザンツ・ルネッサンス

ビザンツ・ルネッサンスという言葉を聞いたことがありますか?
簡単にいうとビザンツ帝国における「芸術と学問の復興運動」です。「ルネッサンス」と言っても西ヨーロッパのそれとは異なり、ビザンツではすでにマケドニア王朝時代(9〜11世紀)から「古典文化の再評価」が始まり、特にパレオロゴス朝(1261年以降)芸術・文芸・神学の再興が進みました。

コーラ修道院のモザイクやフレスコ画は、この「パレオロゴス朝ルネッサンスの結晶」とも言える存在です。

比較ビザンツ・ルネッサンス西洋ルネッサンス
時期主に13〜15世紀前半主に14〜16世紀
中心地コンスタンティノープルイタリア各地
(フィレンツェ、ローマなど)
特徴ギリシャ文化・神学・文芸の復興古典文化の再発見、
科学・芸術・人文主義

ケルコポルタ

コーラ修道院を観た後、近くのプチ・歴史スポット【ケルコポルタ】に寄り道です。

🏰 ケルコポルタ門とは?
  • テオドシウスの城壁の北西部にある小さな裏門(postern gate)
  • 軍事的にはあまり重要ではないが、兵士の出入りや巡回のために使われていたとされる。

陥落時に関する説(1453年)がいろいろとあり、歴史家の間ではいまだに議論があるようです。

オスマン軍が城を包囲している中で、防衛側が鍵をかけ忘れたとか、ビザンツ帝国内部にオスマン帝国に通じていた人物がいて意図的に門を開けたという陰謀説、オスマン軍が城壁を攻撃していた際に偶然この門を発見して侵入したという説など、どれもありそうだし無さそうな話。

この話の主な出典はビザンツ最後の年代記作者、ゲオルギオス・スフランツィス(George Sphrantzes)などが残しているようですが、詳細な描写は少なく、後世の物語化や憶測が混ざっている可能性も高いとされています。

いずれにしてもロマンがありますね。鍵のかけ忘れでビザンツ帝国が終わった、みたいな。

ファーティフ・モスク|Fatih Camii

さて、コーラ修道院・ケルコポルタも観ることができたので、バスで次のスポットに移動です。

征服者のモスク

1470年、スルタン・メフメト2世(コンスタンティノープルを陥落させた王)によって建てられたファーティフ・ジャーミー。「ファーティフ」とは彼の称号「征服者メフメト(Fatih Sultan Mehmet)」に由来しています。イスタンブールで最も歴史あるモスクの一つ

ビザンツ帝国時代、もともとこの場所には十二使徒教会(聖使徒大聖堂)がありました。しかし、悪名高き第4回十字軍により破壊・略奪され尽くし、ほぼ廃墟になっていたようです。※ちなみに、ベネチアのサンマルコ寺院はこの聖使徒大聖堂がモデルになっているといわれています。なので、あのサンマルコ寺院のようなビザンティン様式の素晴らしい大聖堂だったのでしょうね~。

コンスタンティノープルを陥落させオスマン帝国となった後、メフメト2世によりファーティフ・ジャーミーが建てられました。

足を洗う場所。

中は明るくてとても美しいモスクです。

度重なる地震や火災で、建設同時の建物は残っておらず、今あるのは後に再建されたものです。

窓が多く、ステンドグラスが華やか。

ダチョウの卵は蜘蛛除けになるのか

蜘蛛除けのダチョウの卵。シャンデリアに吊り下げてあります。

「ダチョウの卵はクモ除けになる」という言い伝えは中東やヨーロッパの一部地域、特に地中海沿岸やビザンツ圏、イスラム圏で長く信じられてきた民間伝承だそう。

ビザンツ時代の教会やモスクには、天井から吊るされたダチョウの卵が今も残っている場所があります。一説には、これは 装飾目的であると同時に、クモが巣を作らないようにするための「おまじない」的な役割だったとも言われています。ちなみに、現代の科学的な観点から見るとダチョウの卵が実際にクモを寄せ付けないという証拠は見つかっていないみたいですね。

メフメト2世の霊廟

ファーティフ・ジャーミーの一画にあるメフメト2世の霊廟。

美しい装飾が施された中にガラスで保護された棺があります。棺の先にはターバンが。
征服王は今もここに眠っています。

マルキアヌスの柱|Kıztaşı (Markianos Sütunu)

ファーティフ・ジャーミーから徒歩移動して到着した次のスポット、マルキアヌスの柱。路駐する車に囲まれた交差点の中州にぽつんと立っています。

マルキアヌスの柱(Column of Marcian)は、イスタンブールに今も残るビザンツ帝国時代の記念碑的な柱のひとつで、歴史的にも芸術的にも貴重な遺構です。トルコ語では Kıztaşı(クズタシュ:娘の石)とも呼ばれています。

娘の石と呼ばれる所以は↑こちらの彫刻。台座にラテン語の碑文と装飾された2つのニケ(勝利の女神)のレリーフが彫られています。碑文には「タティアヌスが皇帝マルキアヌスにこの柱を捧げた」という内容がラテン語で記されているようです。

北側にニケ(2人で花輪?を持っている)、東西にはキーロー(ラバルム)、南側には花輪の中に十字架が描かれている、とのことです。

XP(キーロー記号)とは?

キリスト教でよく見かける「XP(キーロー)」という記号は、「キリスト(Christ)」を象徴する古代のキリスト教シンボルです。

正式名称:キ・ロー記号(Chi-Rho, ΧΡ)

ギリシャ語で「キリスト」を意味する
 Χριστός(Khristos)の最初の2文字:
 ▶ Χ(Chi/キー)
 ▶ Ρ(Rho/ロー)

この2文字を組み合わせて、「ΧΡ」=キリストの象徴とされました。

南側の花輪に十字架のレリーフは良く見えなかったのですが(風化しちゃったのかな)、東西のキーローのXとPの形、歯車のような文様はよく確認できました☺

この柱はローマ皇帝の栄光だけでなく、キリスト教世界における「神による統治の正統性」も表現しているらしいです。マルキアヌスは「カルケドン公会議(451年)」を主導した皇帝としても知られており、正統信仰の守護者としての自己イメージを柱に込めたとも考えられます。古典的ローマ的意匠(ニケ)+キリスト教的象徴(十字架・キーロー)の融合=「ビザンツ的皇帝イメージ」の象徴だったのかもしれません。

聖ポリエウクトス聖堂(ハギア・ポリエウクトス聖堂)跡地

聖ポリエウクトス聖堂(Church of St. Polyeuktos) は、かつてコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に存在した、ビザンツ初期を代表する豪華な教会建築のひとつです。6世紀前半(524〜527年)頃、皇族女性アニキア・ユリアナ(Anicia Juliana)によって建設されました。、第4回十字軍により破壊・略奪され、現在は廃墟、基礎遺構のみ残存しています。
※現在のイスタンブールのサラチハネ地区にありました。

アギオス・ポリエウクトス聖堂という書き方をされている場合もあります。現地読みを日本語で表現するのって難しいですよねぇ。

建設の目的と背景

建設者のアニキア・ユリアナはかつての西ローマ皇帝家の血を引く非常に高貴な出自の女性。当時、台頭しつつあったユスティニアヌス1世に対抗するように、自らの権威を示すため極めて豪華で大規模な教会を建てたとされています。実際、後にユスティニアヌスが建てるハギア・ソフィア大聖堂に影響を与えたとも言われているのです。

建築・装飾の特徴

巨大なバシリカ形式に加え、ドームやアーチなども備えた複合的なデザイン。内部装飾は金、モザイク、彫刻などをふんだんに使い、当時の最高峰の技術が結集。後世の文献では「この教会は古代ローマの全盛期にも匹敵する」と絶賛されたほどでした。
ぜひ観てみたかったですよね~。

今は発掘された柱の一部がこのように置かれているだけです。

ベネチアに持ち出された柱

第4回十字軍によって聖ポリエウクトス聖堂から略奪されたとされる柱がサンマルコ寺院(三マルコ大聖堂)にあります。今回の旅ではベネチアにも足をのばしましたので、その柱もしっかり観てきました☺

ファーティフ記念公園|Fatih Memorial Park

聖ポリエウクトス聖堂の跡地の近くにあるメフメト2世を記念した公園。地元の皆さんの憩いの場になっていました。中央には躍動感のあるメフメト2世の騎馬像(モニュメント)がありました。その後ろに見えているのがヴァレンスの水道橋です。

ヴァレンスの水道橋|Valens Kemeri

交差点からみるとその大きさがよくわかりますね。水道橋の柱の下をバスや車が通り抜けていきます。

東ローマ皇帝 ウァレンス(Valens) の時代に完成したので、ウァレンス/ヴァレンスの水道橋と呼ばれます。ビザンツ時代からオスマン時代まで、約1500年以上にわたり維持・使用されてきました。オスマン帝国時代にはスレイマン大帝の命で修復され、さらに延長された部分もあるようです。

全長約 1km、現存部分の高さは約 29メートルだそう。大きいですよね~。
夜ライトアップされることもあるようですよ♪

 

ホテルの近くのカフェで休憩

Sarıyer Börekçisiというパイ・ショップ。トルコはパンをよく食べる国なので、あちこちにこういうカフェがあります。

チャイ2杯とチーズ入りのピデ(Peynirli Pide)、アダナ風のチーズパイ(Adana su Böreği)で190トルコリラ(≒795円)。このお店はお安い☺ お店の人の感じも良かったです♪

ここは本来はトルコピザのお店らしいので、焼きたてのピデを食べても良かったなぁ…と後悔。結局今回の旅でトルコピザを食べる機会が無かった…(あんなに食べたいと思ってたのに…!)。

ホテル近くのスーパーでちょっとしたトラブル!

アクサライのMigros jet。

ホテルに戻る前に水を買おうと立ち寄ったスーパーで事件が起きました~。

買ったのは↑この2本。1.5ℓの水ボトル1本と、1ℓの炭酸水ボトルを1本。

しかし、レシートを観てみると2本しか買ってないのに3本買ったことになっている!

こういうのって、たまたま打ち間違えたのかな〜って時と、絶対わざとやってるな!?って時とありますが、これは後者。なぜなら、この時のレジのおっさん(おそらくオーナーだと思われる)の態度がレジに並んでる時から本当に悪かったんですよね…。私たちの前に並んでいるおばさんとずーっとおしゃべりしてて、私たちをわざと待たせてる感じだし。愛想もなけりゃ会計も雑。

なので、このレシートを観た時に『おう!やってくれたな』と思ったわけです。もちろんその場でクレーム。※怒鳴ったりしてはいけない。あくまでも淡々と確認するよ!

ぽや妻『これ、会計間違ってたよ』※ジェスチャーと英単語
レジのおっさん『ノープロブレム!』レシートを確認するふりして『OK! OK!』
↑このOKOKのやりとり3回くらいやった。
ぽや妻『いや、これ3本になってるじゃん? ERIKLI SU ってやつが2本になってるじゃーん?』
レジのおっさん『ワンミニット!』※他のお客さんの会計をしている
ぽや妻『わかった。待ってる。説明してくださいね』
レジのおっさん『………』こちらをちらっと見て、
25トルコリラ分のお札を投げてよこした!
ぽや妻『OK』お札を受け取って店を後に

というわけで、無事に水1本分(にはちょっと足りてないけど)の現金を取り戻したのですが。

これ、クレジットカードで支払っていたから控え(レシート)がもらえただけで、現金だったらそのままレシートも貰えずにうやむやになっていたんじゃないかなと思います。レシート無かったり、品数が多かったら気付けないですよねぇ。

もうさ…。機内泊で寝ないで早朝にイスタンブールに着いてそのまま観光して疲れているところに、こういうことがあるとグッタリしますよねぇ。でも、明らかにアジア系の観光客をナメてるんだろうなぁって感じがしたので、高々100円程度の金額でしたが、『まぁいいか』とはならなかったんですよねぇ。

10トルコリラ割引の謎

そして、レシートを見るとわかるのですが、謎の10リラ割引があったんです。おっさんとのやりとりでも、この10リラ割引を指さして『OK!OK!』と言っていたのです。で、考えてみたのですが、合計額が高くなり過ぎないように割引で調整して、私達(詐欺られる側)が気付きにくくしていたのでは?…と思っています。

でもそんなことしてもたった15トルコリラしかちょろまかすことしかできないのにね。普通に愛想良くしてリピーターになってもらって儲けたほうがいいんじゃないのか?とか思ってしまうんですけど。最初から感じが良ければ『ああ、間違っちゃったんだね!』で終わってたのになぁ。

というわけで、結果的には10トルコリラ得してしまいました(しようと思ったわけではないけど)。

このスーパーで毎日お水を買ってやろうかなと思っていたのですが、結局トラムのアクサライ駅前のキオスクのほうがお水が安くて明朗会計だったので、その後このスーパーで買い物することはありませんでした。

アクサライの治安

アクサライに合計4泊したのですが、このスーパーでの会計トラブル以外に嫌な目に合うことはありませんでした。治安も特別悪い感じもしませんでした。ぽや家的には、観光に便利な場所で、空港バスの乗り場もあり、良いところだなという印象です。

ただ、ネット上の情報では『アクサライは移民が多く治安がやや悪い』という評価らしいです。

今回の旅で使ったeSIM

【ヨーロッパ eSIM】30日間 高速データ10GB 低速データ使い放題 データ通信専用 ヨーロッパ sim イギリス・ドイツ ・フランス・トルコを含む40のヨーロッパ諸国で使用可能|mewfi

今回ぽや家が利用したのは↑こんなやつ。Amazonで購入しました。

決め手は、トルコとイタリアどちらの国でも設定なしで繋がるというところ。実際、トルコからイタリアを行き来した際には、機内モードを解除して1〜2分待つと普通に繋がりました。

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