
こんにちは!
ぽや妻(@poyatabi)です。
この記事では2025年3月に行ったトルコ&イタリア旅についてまとめています。今回はイスタンブール初日の観光(後半)の様子をまとめました。
イスタンブール観光|ハギア・ソフィア(アヤソフィア)

イスタンブール観光初日の午後(夕方)からハギア・ソフィア(アヤソフィア)へ!動画もぜひご覧ください☺
このトルコ&イタリア旅2025の様子をまとめてご覧になる場合はこちらからどうぞ☺
入場料がそこそこ高い

2024年1月15日よりトルコ国籍を持たない外国人観光客から入場料の徴収が始まりました。入場料は1人あたり25ユーロ(ぽや家が訪れた時は25ユーロ=1,025トルコリラ≒4,305円でした。)※2025年3月時点

窓口でチケットを購入する際、販売員からの『セット券を買わないと損だ!博物館を観ずに帰るなんてありえない!』みたいな勢いで博物館とのセット券を勧められましたが、正直バルコニー(2階部分)だけ入れるチケットで良いと思います。お金と時間に余裕がある場合はセット券を購入されるのも良いと思いますが、ハギア・ソフィアが観たいだけなら25ユーロのチケットでOKだと思いますよ〜☺
Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı No:1, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
ハギア・ソフィア(アヤソフィア)の歴史

- 537年ハギア・ソフィア大聖堂完成
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の命で建設。ビザンツ建築の最高傑作。
- 1204年第4回十字軍がコンスタンティノープルを略奪
ハギア・ソフィアも被害を受け、ラテン帝国のカトリック教会として一時使用される。
- 1261年ビザンツ帝国復活後、再び正教会の大聖堂に戻る
ミカエル8世パレオロゴスが帝位につき、ビザンツ帝国を“名目上”復活させた。
- 1453年メフメト2世がハギア・ソフィアをモスクに転用
オスマン帝国がコンスタンティノープルを征服。
- 1935年トルコ共和国によって博物館化される(アタテュルク政権)
- 2020年エルドアン大統領によって再びモスクになる
無料で開放されていたが、2024年1月からはトルコ国籍を持たない外国人観光客から入場料の徴収が開始された。入場料は1人あたり25ユーロ。
↑このような感じで、正教会→カトリック教会→正教会→モスク→博物館→モスク(今ここ)になりました。
ハギア・ソフィアはギリシャ語で「聖なる叡智」を意味します
建築の特徴

大ドームの高さは56m、直径は32mと31mの楕円形。東西南北に半ドーム(半円屋根)を加えて重厚な構造を形成しています。大理石、モザイク、光の演出が調和した神秘的空間が広がっていて、まさに荘厳!な雰囲気。

ドームを支えるペンデンティブ構造(球面三角形)が世界で初めて本格採用された模様。ちなみに、ペンディンティブについてはZA-建築塾さんの動画がわかりやすいのでどうぞ♪(ぽや家も勉強させていただいております)
モザイク画
デイシス(Deësis)

ハギア・ソフィアのモザイクの中でも有名なデイシス。近くでも見てもこの細かさです。

立体感があってパレオロゴス朝ルネサンスの傑作です。破損が激しいですが、それでも黄金の背景といい人物の表情といい、素晴らしいですよね。

デイシスの正教会においての伝統的な構図。中央にキリスト、向かって左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネ。キリストに救済を希う姿です。
皇帝ヨハネス2世と皇妃エイレーネーのモザイク

聖母子に寄進する姿。向かって左側の男性がヨハネス2世コムネノス。右の女性はエイレーネー / ピロシュカ。エイレーネ―はハンガリーから嫁いできて(政略結婚)、その時に名前もピロシュカからギリシャ風のエイレーネ―に変えました。
よく見ると、右側の壁(90度折れ曲がっている壁のところ)にももう一人。これは夫妻の息子アレクシオス皇太子です。将来の皇帝になる予定でしたが、若くして亡くなってしまいました。
皇帝コンスタンティノス9世とゾエ皇后のモザイク

今私達が観ることができるこちらのモザイク、3回書き換えられたという逸話があります。
ゾエはマケドニア王朝の正統な血筋の皇女でした。生涯に3回結婚し、3人の夫はすべてビザンツ皇帝として即位。その際、再婚の度に夫の顔を(自分の顔も?)描き替えたという話です。※キリストの顔も描き替えられているとの話もあり。しかも、ゾエの年齢的にこんなに若いわけがないので、顔も若返らせてると思われます。興味深いですね。
一人目の夫:ロマノス3世(毒殺説あり)
二人目の夫:ミカエル4世(美青年・元愛人から皇帝へ)
三人目の夫:コンスタンティノス9世
最初の夫のロマノス3世とゾエは不仲→ゾエ|ミカエル4世を愛人にする→ゾエ|ロマノス3世を亡き者にしてミカエル4世と結婚→ミカエル4世|皇帝になったとたんにゾエを幽閉
…ゾエと2人目の夫のミカエル4世の結婚ですが、ゾエは50過ぎてて、ミカエル4世のほうはまだ20代。30歳以上の年の差があったわけなので、ミカエルが成り上がったといわれるのも仕方ない。しかも、自分が皇帝になる時には前の皇帝を暗殺しているような女(ゾエ)なので、幽閉したくなるものわかるような。
アプス(アプシス|後陣)の聖母子像

後陣に描かれている聖母子像は、モスクとなった現在は白い布で隠されています。
聖母子に寄進する2人皇帝のモザイク

1階にある聖母子のモザイクも観ることができました。
右の男性がコンスタンティノープルを捧げる皇帝コンスタンティヌス1世(コンスタンティノープルに遷都した)、左の男性がハギア・ソフィアを捧げる皇帝ユスティニアヌス1世(ハギア・ソフィアを造った)です。
柱に刻まれた皇帝のモノグラム

柱の柱頭の装飾がとても美しいのですが、これは何式というのかしら…?
そして、柱の模様の中心にあるマーク、これが皇帝のモノグラムです。※モノグラムは個人やブランドの名前の頭文字などを組み合わせた図案や記号のことです。

バルコニー部分の柱に皇帝や皇后のモノグラムが彫り込まれています。

綺麗ですよね〜。
モノグラムの意味
画像は検索で辿り着いたトルコの方のブログ記事(https://fitarihinden.blogspot.com/2019/03/aziz-sergios-ve-bakhos-kilisesi.html)から引用させていただきました。元の記事が素晴らしいのでご興味あれば元記事を読んでみてください!
↑こちらは左からバシレウス、ユスティニアヌス、テオドラ、アウグスタ。
バシレウスは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)においても皇帝という意味の称号として使用されていたようで、アウグスタは皇后を示す称号として使用されたようです。

このように文字が組み合わされてデザインされているのですね。


ハギア・ソフィア以外の教会や建物のモノグラムも、実際に足を運んで観てみたくなりますね〜☺

天国と地獄の門

2階を奥に進むと、途中にあるのが大理石でできた門です。扉のデザインで、美しい装飾があります。

裏面には十字架。
この天国と地獄の門という名称は正式なものではなく、伝承的に伝わっているもののようです。
バイキングの落書き

アヤソフィアの2階南ギャラリーの大理石手すりの上部に彫られている「バイキングの落書き」。意外にもビザンツと北欧の意外なつながりを物語る貴重な歴史遺産。
北欧文字(ルーン文字)で『ハルタニ(またはハルフダン)がここにいた』と書いてあるらしい。(消えている部分もあって『多分こんな感じに書かれてる』ということらしい)
なぜバイキングがアヤソフィアに?
9〜11世紀頃、ビザンツ皇帝は北欧出身の傭兵(ヴァリャーグ)を親衛隊として雇用していました。彼らは忠誠心が高くローマ系貴族とは異なる文化を持っていたため、反乱の恐れが少ない『信頼できる護衛』と見なされていたのです。
エンリコ・ダンドロの墓

ハギア・ソフィアの2階には第4回十字軍を操ったエンリコ・ダンドロ(Enrico Dandolo)の墓があります。エンリコ・ダンドロはヴェネチア共和国の総督(ドージェ)として第4回十字軍(1202〜1204年)を陰で操った人物。
1204年、十字軍とヴェネチア軍はコンスタンティノープルを襲撃・略奪・占領。多くの聖遺物や芸術品が西へ(特にヴェネチア)持ち去られました。ダンドロはそのまま都に留まり、ハギア・ソフィアに葬られたとされています。(多分そのお墓がこれ↑)
彼が盲目になった理由や、なぜキリスト教の都コンスタンティノープルを攻撃させたのかには深い背景がありそうです。
<失明の理由|興味深い説>
ダンドロが盲目になった理由は諸説あり、はっきりとは分かっていません。ですが、気になるのがビザンツ帝国で侮辱され、視力を奪われたという伝説。1170年代、彼がビザンツ帝国への外交使節として滞在中に失明させられたとする説があるのです。ただし、これは後世の物語的解釈とも言われていて確実な証拠は無し…。でも、もしこれが本当であればコンスタンティノープル(ビザンツ帝国)に恨みを持っていてもおかしくないですよねぇ。(妄想)
実際には頭に怪我をして徐々に視力を失ったとか、加齢(コンスタンティノープルを攻撃した時は80代)によるものなどの健康説のほうがが有力なのかなぁ。
ノアの箱舟の木材で作られた扉?

ハギア・ソフィアの扉が「ノアの箱舟の木材で作られた」という伝説は、実際に中世から伝えられているお話のようです。もちろん伝説・信仰・象徴的な物語であり、歴史的・科学的な証拠はありません。
中世の巡礼者記録や正教会の伝承に、「この扉はノアの箱舟の木材を使っている」という記述があるらしく、特にビザンツでは、聖遺物と同様に、象徴的な意味を持つ素材の使用が非常に重視されたようです。
イスタンブール初日の夕食

イスタンブール初日の夕ご飯はこちら。朝、お金をおろすためにSTMに来たときに見かけたファストフード店の『DüRüMLE』。トルコ風ラップサンド、ドゥルム屋さん。
トルコ語のわからない日本人中年夫婦にも優しく対応してくれたカウンターのお嬢さんには感謝しかない!!イライラせずに丁寧に対応してくれました〜☺

ラップサンド2個とポテトで545トルコリラ(≒2280円)。※2025年3月当時のレート|1リラ≒4.2円

めちゃくちゃしっかりした箱に入れてくれました。シーズニングや楊枝、おしぼりなども入ってる!

2つにカットしてほしいとお願いしたら、きちんと真中で切ってくれていました。有難い〜☺
今回はチキンとケバブを注文したのですが、個人的にはケバブのほうが肉々しくてラムっぽい味がして好みでした〜。※今回の旅では食事が疎かになっていて、せっかくトルコに行ったのに食べ歩きを楽しえていないのです…また行かなければと。
google評価低いですが、ぽや家が行ったときは店員さんも感じが良くてラップも美味しかったですよ♪
今回の旅で使ったeSIM

【ヨーロッパ eSIM】30日間 高速データ10GB 低速データ使い放題 データ通信専用 ヨーロッパ sim イギリス・ドイツ ・フランス・トルコを含む40のヨーロッパ諸国で使用可能|mewfi
今回ぽや家が利用したのは↑こんなやつ。Amazonで購入しました。
決め手は、トルコとイタリアどちらの国でも設定なしで繋がるというところ。実際、トルコからイタリアを行き来した際には、機内モードを解除して1〜2分待つと普通に繋がりました。
関連記事
滞在ホテル
トルコのデモに遭遇
旅行の準備|クレジットカード編
海外旅行でクレジットカードが使えなくならないように準備
旅動画いろいろあります
